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2017/01/22
【つらつらノート】バランスのお話②

                        ☆ 「つらつら」とは、念入りに、つくづく、という意味の言葉です。

 

「 フェアほど楽なことはない 」

 

私たちが安定を求める時に必要なのは、フェアな関係であり、見方だと思います。
アンフェアな上下関係や上下感覚的見方をなくすことは出来ないけれど、それに圧迫されたら、出来る領域でフェアな関係を築いたり、まぁいいじゃないか的な見方・考え方が、安定をもたらす方法だと思うのです。

 

フェアな関係というのは、スゴク楽です。相手の欠点も自分の欠点も、お互い許せている訳ですから、言いたい事は言えてあまりストレスも溜らない。お互い様という関係だから楽な訳です。一方でこのような関係の世界がなくては、上下関係の世界で生きてゆく事は出来ないと思うのです。

 


「 円満な関係の構図  50 : 50 の意識改革 」

 

フェアな関係が楽だと言っても、会社内の上下関係は崩せないし、家族にしても、父親とタメ口をきけばケンカになりそうだし、弟や妹にタメ口をきかれたりするのはやはり釈然としないでしょう。しかし、問題は口の利き方ではなく、意識としてフェアな付き合い方をする、ということです。
学生ならともかく、社会に出て働いているのだったら、親であっても、大人と大人、個人対個人としての意識で接することが大切です。お互いを尊重したり、労わりを持つこともそこから生まれます。同じ人間で、時代社会を悩んだり傷ついたりして生きているのです。ましてや親子なら、似たような事で悩む場合もあるでしょう。

 

家族の場合、私たちは物心ついた頃から上下関係の中で生きることを強いられています。父親、母親、兄、姉などは、みんな頭上にいる感じです。上の言う事を聞くのが当たり前のようで、やりたい事や言いたい事が思うようにかないません。親が強い力を持っているほどに、子供は言いたい事を押さえつけられて、その力を自分の内に溜め込んでしまいます。力というものは不思議なもので、その場で発散できるとポジティブに働く力も、一度こもらせて溜め込んだ力は、どうもネガティブな傾向に向かいやすい。
「チクショウ」なんて思うと、どうしても憎しみや暴力に結びつきやすいようです。

 

まぁでも子供のうちは、それでも親がいなければ自分が生きてゆけないという意識がありますから、なんだかんだ言っても親の言う事に従うのが一般です。しかし、成長して中学生や高校生になった時に、もう自分の力で生きられることに気づき始めると、その上下関係が強すぎる環境に、とてもじゃないけどやっていられない、という強い反動の力が働きます。手近な親に反抗したり、社会に向けて反抗したりする。つまりこれらの行動は、窮屈な上下関係の世界から逃れて、フェアな関係を強く求めている意識の現れもあるでしょう。誰とでもタメ口で関係を持ちたがる。強い上下関係で育った者ほど、気持ちの上ではフェアな関係を求めているのとはまた別に、その反動の力によって今度は自分が上に立った上下関係で周りの人たちを支配したい欲求も強く持ち上がってくる。目には目を、力には力を、の意識の働きですね。

 

しかし、これらは純粋に自然の力の働きであって、それは人間が作った社会の不自然なほどの上下感覚の力に反抗して自らの自然性のバランスを取ろうとしているのかも知れない。 勉強ができる者ばかりが認められて、できない者が認められない。そんな了見の狭いところで人間を判断する大人や社会の構造にガマンがならなくなる。そういう人間の純粋な気持ちが強いが故に、一見トンデモナイと思うようなことをしてしまったりするのかな、とも思えます。

 

それほど、私たちが住んでいる社会は、上下の価値観がはびこり過ぎていて、いたる所に上下意識の強さが目立つ世界です。物心ついた頃から、もう競争の世界に置かれている。ホッとできる環境も時間も、日常的には少なすぎる。そして、みんな癒されたいと心の中で思っている。
人間が社会を発展させ営むにあたっては、上下の力関係が必要ですが、一方に上下関係を認めるならば、その対の存在としてもう一方に並行関係の世界…フェアな関係の世界も認めて維持していかなくては、人間も自然も壊れてしまいます。上下の長さと同じなくらいの左右並行の長さを保ち、円のような最も安定した構造を作らなくては、社会を営む秩序も保てないように思います。つまりそのバランスが、上下関係の世界を維持し、社会の安定を維持するために大切な要素なのではないか、などと考えます。

 

親は、もう子供が成長してきたら、一人の人格を持った人間として、そして新米の大人として、例え未熟であろうと認めることです。
 言いたい事に耳を傾ける。すぐに結論に急がない。言いたい事を表現するのに、子供は大人よりも時間がかかるのです。これを大人が待てないと、子供は話のコミュニケーションを諦め、放棄して、暴力や無視といった行動を取ってしまいやすくなる。
子は、自分が成長している自覚を持って親に堂々と発言する。理不尽と思われるところは進言する。
最初は勇気がいることです。でもそれをやらなくては対等になれないし、対等に近づかなければ大人にはなれません。親と子といっても、それは一番身近な人間関係です。親だって子供だったのだし、子供だって親になったり、いずれ親が老いれば面倒を見たりして、立場が逆転したりもするのです。逆転した時に、その世界が居心地の良い世界である為にも、フェアな関係を築いてゆくということは大切だと思うのです。

 

この世界は、常に流れています。そして、その流れのすべては、円の運動のように循環しています。
それは自然の創り出した流れで、上下と並行、縦軸と横軸が共存しなければ、円の運動は成り立たない。フェアなばかりでもいられない。上下ばかりでもいられない。人間が生きてゆく、難しいところですね。知恵が必要とされるところです。しかし、自然の流れの中で生きている以上、基本的に 50% の割合で、私たちはフェアな関係なのです。
人間には巡り合わせの宿命の違いはあっても、それはいつかは誰でも経験することですし、その時期の違いは一時的なものです。視野を大きく見たら、結構お互い様の事をしているのです。
相手が 50 なら、自分も 50 です。大きく見せる必要も、小さく見せる必要もないのです。(つづく)

 


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