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2017/09/09
【つらつらノート】 いつの間にか失っていた大切なもの

もう何年も前のことですが、私の父が認知症になり、次第に妄想に駆られるようになってから、自分の身の回りの物…例えば、眼鏡や財布などがなくなる度毎に、「昨夜、おまえがここに来て、オレの財布を取って行ったことはわかっているんだ…。」などと、ありもしない事を真剣になって、息子である私のところに電話をして来るようになりました。まだ一人で家に住んでいた頃のことです。そして、その晩にでも行って、いっしょに捜してみると、引き出しの中などから出てくる。そうすると、もう心底から「良かったぁ」という顔になって、「ありがとう、ありがとう」などと言ってくるのです。もう、自分が電話でどんなことを言ったかなど、ぜんぜん憶えていない。それでも、また何かなくなれば、睨みつけるような眼で言ってくる。そういう時は、本当に悲しいばかりでしたが、でも、本当に父が失くして取り戻そうとしているもの、取り戻したいと願っているものとは、一体何なのだろうと思うようになりました。父に、本当になくなっているもの。心底から取り戻したいもの。それは、お金や、眼鏡や、腕時計でもなく、預金通帳でもない、それらを抽象しているものなのかも知れない。お金のように、束縛されやすいものではあるけれど、肌身につけるように持っていることで、かけがえのない安心感を与えてくれるもの。恐らく、そういうものを父は失い続けていて、周りの者に訴えたかったのか。それはやはり、信頼ということだと思えたのでした。

 

物忘れがひどくなった父を説得して、病院へ行き、アルツハイマー型認知症と診断されてから、介護支援を受けるようになり、いろいろな方々からの忠告やアドバイスを受けるようになって日々を過ごすうちに、いつの間にか、父の言葉や感じていることなどを、私はそれとなく聞き流したり無視してしまうようになっていたのかも知れなかったのです。父の言っていることや、やっていることが、ますますトンチンカンになっているので、心の内では、父の言うことを信じてやれなくなっていたのは事実です。適当に相槌を打ったり、生返事をして聞き流してしまっていることもありました。父のためにいろいろとやっていることが、いつの間にか、父を抜きにして回ってしまっているのでした。自分は信頼されてない、と父は感じたものの、表面的には、自分のためにいろいろ手を尽くしてくれている娘や息子に対して、あまり真正面から胸の内にある憤りを吐き出せないでいたのでしょう。娘や息子に、自分の言うことが信じて貰えない苛立ちや、切なさや、孤立感、疎外感などを感じていたのだと思います。そういう胸の内に積もっていたものが、財布とか腕時計とか、何かが紛失した時の拍子に、自分でコントロールできない大きさで噴出していたのかも知れない。その時点で、すぐに電話して吐き出してしまわなくてはいられなかったのでしょう。そして父としては、娘よりも、息子の方が対しやすかったのでしょうね。いくら認知症だからといって、自分の息子に対してずいぶんと酷い事を言う父親だ、と怒りと共に思っていたものですが、よくよく考えてみれば、娘や息子の方だって、自分たちには見えないところで、親に対してずいぶんと可哀想な、酷い事をしてきていたのでした。

 

 

人にとって、一番大切なものは何か ?

それが人、人と人との関係であるならば、信頼は、この世界で一番大切なもの。
信頼を手放せば、すなわち、大切なものを失ってゆく。
信じることができなくなれば、どんどん分裂され、孤独になり、更に自分自身も失って、悲しみのどん底に堕ちてゆく。

一度壊れた信頼は、努力して修復できたと思っても、どこかに残ったヒビは消えることがない。

そうなる前に、何よりも、信じることを手放してはならない。
何よりも、信じることを優先させなければならない。
何か間違いがあったとしたら、先ず、信頼を手放していないかを確かめることだ。
しかし、人は間違いを犯しやすく、迷いやすく、従って、信頼を手放しがちな存在だ。

信頼を手放してしまったからと言っても、決して誰も責めてはならない。
人はそれを許しあう寛容を持たなければ、いずれ自分も悲しみのどん底に堕ちてゆくだろう。
すなわち、人から信頼を手放されても、自分が人を信頼することを手放してはならない。
多くの悲しみに傷つき、信頼を手放し続けたとしても、信じたいと希求する想いは人から去るものではない。
大切なものを見失って、人が信頼を手放そうとするからだ。
さぁ、もう一度、信頼を手元に引き寄せ、取り戻そう。その人の良き面を想い出し、見つめ続けよう。

 

この文章は、その頃、父が私に何かを言ってくる折毎に、自分に言い聞かせるようにしていた言葉です。

 


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