お知らせ・つらつらノート

  1. ホーム
  2. お知らせ・つらつらノート

お知らせ・つらつらノート詳細

2017/11/26
【つらつらノート】 人が、何かを為すということ。

今回は、私の敬愛するオステオパシー医 ロバート・C ・フルフォード が、何かに行き詰った時に読むという ウォルター・ラッセル の言葉を載せてみたいと思います。

 


人間は、何であれ為すのは不可能だ。人間の最大の妄想は、「自分は為すことが出来る」と思い込んでいることだ。人は皆何か出来ると思い込み、またしたいと思う。だから誰もが最初にする質問は、「私は何をすべきか ? 」、となる。
しかし実際は、誰一人として何も物事を為し得ないし、また出来もしない(成し得ない)。これを先ず理解することだ。すべてはただ起こるのだ。人間に生じること、彼によって為されたこと、彼から出てくるもの、これらはすべてただ起こる事なのだ。人は生まれ、生き、死に、家を建て、本を読み、それは実は自分が望んでいるようにではなく、起こるに任せているに過ぎない。
この為すことについての問題には、別の問題が関連している。つまり誰もが、他人は間違った行動をしている、物事を正しくやっていないと思っている。誰もが自分はもっとうまくやれると思っている。皆が皆、自分の見解や理論を持っていて、為すべきことが為されていないと考えている。実際は、すべてはなるようになっているに過ぎない。しかもそれは一通りしかない。すべてのものは他のすべてのものに依存しており、すべては関連していて独立したものは一つも無い。だから、すべてはそれが取り得る唯一の道を進んでいるのだ。すべてはそういうふうにして起こっていることなのだ。

 

そんなことはないだろう、と思う人は多いと思います。しかし、つらつらと考えてみると、彼の言っていることがなんとなく理解できなくもない。
例えば、何故、どんなに総理大臣が変わっても、一向に大多数の国民が求める住み良い社会というものが実現しないのか ?  ある一部の限られた人たちにとっては問題のない良い社会ではあっても、格差や、差別や、貧困や、肉体的乃至精神的暴力が後を絶たないのか ?  何故、大多数の人が理想として描いている富の分配や社会の平等は難しいのでしょう ?   

どんなに有能な人が一国の首相になったとしても、動かせないものがある。一生懸命やっても、為されないことがある。金力や、政治や、制度や、社会の仕組みだけでは、歯が立たない力がある。

 

 「突き詰めると、人は、善悪というものに対して非常に無力であることが明らかになる。人は、ただすべてを受け入れ、それを乗り越えて生きることだけしかできない。」       ウォルター・ラッセル

 

 


PAGE TOP