お知らせ・つらつらノート

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お知らせ・つらつらノート詳細

2020/08/11
【つらつらノート】 『終戦記念日』に想う。戦争を体験した多くの人たちが残したかったもの。

 

 

 戦争の悲惨さは、戦場の現場だけに起こるものではなく、その国の、日々の暮らしの中に繰り広げられる現実も戦場となり、人の心をも戦場にしてしまいます。空襲があって、沢山の人が死ぬと、犬が人間の内臓を食べていたりする。死んでいる人が、近所の街角の其処此処にあっても、慣れてくるともう驚かなくなるし、自分たちの生活、その日に食べて生きる事に追われ、自分たちが生き延びてゆくことだけで精一杯で、路傍の人間の死を悲しむことすらしなくなってしまう。たまに腑と我に返って、その悲惨を悲惨とも思わない自分に愕然とする事があっても、また忘れてしまう。人の心が戦場と化すと、鬼にも蛇にもなるのが『人間』というものの実体であるという、耐え難く受け入れ難い事実。そうやって生きてゆくしか生き延びることはできなかった、という現実。

 

 私は、両親共に戦争体験者の家に育ってきたので、小さい頃からよく戦争当時の話を聞かされたものでした。
父は昭和十八年、二十歳の年に出兵して、満州北部にある飛行場で整備兵として従軍し、敗戦の後、どうにかこうにか、それこそ怖い思いを山ほどし、一年という月日をかけ、ボロボロになって日本に帰ってきた人でした。 母は静岡市内に住んでいて、空襲で大火傷を負ったり、兄の戦死、妹の栄養失調による衰弱死という大きな喪失の悲しみに遭いながら、それでも長女で下に五人もの妹弟と、空襲で大火傷を負った病弱な母親の食べるものを求めて一人で満員列車で買出しに行く。母の父親は、母が十三の歳に病気で亡くなっていましたし、上の二人の兄たちは戦争に取られていましたから、それこそ、まだ十七歳かそこらの娘の母が、一人で大黒柱となって昼夜なく働かないと、残された七人の家族が生きてゆけない状況にあったのでした。
そういう両親の、戦争当時の二人の話のあれこれを何度も聞いていると、子供心に、普段の自分の生活とまったく違う世界の話でしかない訳です。普段、食べるものが当たり前にあって、清潔な家があり、寝る布団があって、家族が揃っていて、明日も今日のように学校へ行って友達と遊んで過ごせる日々しか知らない者にとって、まるで遠い世界で起こった出来事のようで、子供心にも非常に貴重な話を聞いているという感じがあって、だからこそ飽きることなく黙って聞いていたのだと思うのですが、恐ろしいけれどもまったく興味深い、不思議な気持ちになる話だったのです。ホントに、そういう地獄のような恐ろしい状況の中を、よく生きてこられたな、と返す返す感心して、眼の前の二人を眺めていたことを思い出します。 母の話は、実際の日常生活に即しているものなので、実感として伝わってくる怖さがありました。例えば、物資が滞ったり不足してきて、食べるものがなくなり、栄養が落ちてくると、人間の体にどういうことが起こるのか。物資がまだ流通している間はいいのですが、アメリカ軍の空襲によって工場に爆弾が落とされたり、鉄道や道路などの流通の手段が絶たれたりすると、食料の配給が止まったり、水道が止まったり、電気が止まったりするだけでなく、身の回りの生活に必要な物資である石鹸や洗剤などが手に入らなくなるわけです。そういう状態がしばらく続くと、どうしても不衛生な日常生活と、食料の不足と偏りがちな栄養の失調状態になるものですから、お腹の回虫が湧いてきたりするのです。そうするとどうなるかというと、体中がむかむかして気分が悪くなり、放っておけば確実に病気になるものだから、トイレで自分でその回虫を出さなくてはならない。などという、いかにも「そんなのゼッタイにイヤだ」的な、耳を塞ぎたくなるような状況を聞いていると、空想するうちに実に恐ろしい気持ちになったものでした。また、食べるものがなくなって、大人が飢えると、時として人が違ってしまったように狂ってしまうことがある、という話など、なんとも不気味に思ったものでした。以前、作家の野坂昭如さんだったと思いますが、「二度と、飢えた大人の顔は見たくない」 と仰っているのを聞いた記憶があります。「飢えた子供の顔は二度と見たくない」、という言葉よりも、恐ろしく現実的な言葉だと思いました。

 

 振り返って、何故、あのような残酷で悲惨な戦争当時の話を子供に繰り返し聞かせていたのか、を思うと、やはり、自分の子供にはゼッタイに同じ経験をさせたくないという思いからだったように感じます。父や母からすれば、半ば、国のやる事、政治家たちの言う事など安易に信用できない心根ができていて、この先いつまた突然戦争が起こるかわからない。戦争が起こりそうになった時に、戦争は絶対にしてはいけないもの、起こさせてはいけないもの、という意識を子供に植え付けておきたかったのだと思います。

 

 戦争の悲惨さというのは、同じ戦争を体験した人でも、肉親の悲惨な死や、耐え難い悲しみや、屈辱や、自分の身に起きた苦痛や苦闘を幾つも経験した人と、そのような悲惨な経験をあまりせずに済んで生きてこられた人とでは、戦争に対する心の深いところでの受け止め方がぜんぜん違うようなのです。私の母方の方は、肉親の悲痛な死を重ねて体験した人たちでしたが、父方の方には、そのような不幸はありませんでした。母の言う悲しみの深さを、父は本当に理解し得なかったという印象があるのですが、父は国の為に戦った人でしたし、母にはとても理解できない心の苦しみを背負っているのは伝わっていて、そのような心の傷みの深さの違いというのも、言葉や情などで埋まるものではないようでした。

 

 人類の歴史の中で、限りなく戦争が繰り返されているのは、いつの時でもそうした耐え難い悲しみも苦痛も知らない、その国の強い権力者やその賛同者たちの力の大きさに拠るものということからしても、この先の未来において、更に戦争が核兵器のような大規模なものになっていくであろう事を考えると、とても不安になります。

一人の人間である時、誰もが決して望んでいる事ではないのに、どうしてそうなってしまうのか、謎のようですが、人が一人一人個別であるうちはそうでなくても、人と人とが数の力で結ばれて大きな組織という形になり、それが国家という大きな権力と繋がったり、そこに大きな経済と金の力と権限の力が絡み合ってゆくと、一人一人の人間ではどうすることも出来ない大きな複雑な力が働くようになっていって、事の事態の大きさや場合によっては、正しくない事が正しい事のようになっていってしまうようです。

 

 

 


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