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お知らせ・つらつらノート

2019.08.11 【つらつらノート】 戦争を語った人たちの、戦争に反対する人と、そうではない人、の話。

 

 

私は、両親共に戦争体験者の家に育ってきたので、小さい頃からよく戦争当時の話を聞かされたものでした。
父は昭和十八年、二十歳の年に出兵して、満州北部にある飛行場で整備兵として従軍し、敗戦の後、どうにかこうにか、それこそ怖い思いを山ほどし、一年という月日をかけ、ボロボロになって日本に帰ってきた人でした。 母は静岡市内に住んでいて、空襲で大火傷を負ったり、兄の戦死、妹の栄養失調による衰弱死という大きな喪失の悲しみに遭いながら、それでも長女で下に五人もの妹弟と、空襲で大火傷を負った病弱な母親の食べるものを求めて一人で満員列車で買出しに行く。母の父親は、母が十三の歳に病気で亡くなっていましたし、上の二人の兄たちは戦争に取られていましたから、それこそ、まだ十七歳かそこらの娘の母が、一人で大黒柱となって昼夜なく働かないと、残された七人の家族が生きてゆけない状況にあったのでした。
そういう両親の、戦争当時の二人の話のあれこれを何度も聞いていると、子供心に、普段の自分の生活とまったく違う世界の話でしかない訳です。普段、食べるものが当たり前にあって、清潔な家があり、寝る布団があって、家族が揃っていて、明日も今日のように学校へ行って友達と遊んで過ごせる日々しか知らない者にとって、まるで遠い世界で起こった出来事のようで、子供心にも非常に貴重な話を聞いているという感じがあって、だからこそ飽きることなく黙って聞いていたのだと思うのですが、恐ろしいけれどもまったく興味深い、不思議な気持ちになる話だったのです。ホントに、そういう地獄のような恐ろしい状況の中を、よく生きてこられたな、と返す返す感心して、眼の前の二人を眺めていたことを思い出します。 母の話は、実際の日常生活に即しているものなので、実感として伝わってくる怖さがありました。例えば、物資が滞ったり不足してきて、食べるものがなくなり、栄養が落ちてくると、人間の体にどういうことが起こるのか。物資がまだ流通している間はいいのですが、アメリカ軍の空襲によって工場に爆弾が落とされたり、鉄道や道路などの流通の手段が絶たれたりすると、食料の配給が止まったり、水道が止まったり、電気が止まったりするだけでなく、身の回りの生活に必要な物資である石鹸や洗剤などが手に入らなくなるわけです。そういう状態がしばらく続くと、どうしても不衛生な日常生活と、食料の不足と偏りがちな栄養の失調状態になるものですから、お腹の回虫が湧いてきたりするのです。そうするとどうなるかというと、体中がむかむかして気分が悪くなり、放っておけば確実に病気になるものだから、トイレで自分でその回虫を出さなくてはならない。などという、いかにも「そんなのゼッタイにイヤだ」的な、耳を塞ぎたくなるような状況を聞いていると、空想するうちに実に恐ろしい気持ちになったものでした。また、食べるものがなくなって、大人が飢えると、時として人が違ってしまったように狂ってしまうことがある、という話など、なんとも不気味に思ったものでした。以前、作家の野坂昭如さんだったと思いますが、「二度と、飢えた大人の顔は見たくない」 と仰っているのを聞いた記憶があります。「飢えた子供の顔は二度と見たくない」、という言葉よりも、恐ろしく現実的な言葉だと思いました。

 

戦争の悲惨さは、戦場の現場だけに起こるものではなく、その国の、日々の暮らしの中に繰り広げられる現実も戦場となり、人の心をも戦場にしてしまうのです。空襲があって、沢山の人が死ぬと、犬が人間の内臓を食べていたりする。死んでいる人が、近所の街角の其処此処にあっても、慣れてくるともう驚かなくなるし、自分たちの生活、自分たちが生きてゆくことで精一杯で、路傍の人間の死を悲しむことすらしなくなってしまう。たまに腑と我に返って、その悲惨を悲惨とも思わない自分に愕然とする事があっても、また忘れてしまう。人の心が戦場と化すと、鬼にも蛇にもなるのが、人間というものの実体であるということ。そうやって生きてゆくしか生き延びることはできなかった、という現実。

 

振り返って、何故、あのような残酷で悲惨な戦争当時の話を子供に繰り返し聞かせていたのか、を思うと、やはり、自分の子供にはゼッタイに同じ経験をさせたくないという思いからだったように感じます。父や母からすれば、半ば、国のやる事、政治家たちの言う事など安易に信用できない心根ができていて、この先いつまた突然戦争が起こるかわからない。戦争が起こりそうになった時に、戦争は絶対にしてはいけないもの、起こさせてはいけないもの、という意識を子供に植え付けておきたかったのだと思います。

 

戦争の悲惨さというのは、同じ戦争を体験した人でも、肉親の悲惨な死や、耐え難い悲しみや、屈辱や、自分の身に起きた苦痛や苦闘を幾つも経験した人と、そのような悲惨な経験をあまりせずに済んで生きてこられた人とでは、戦争に対する心の深いところでの受け止め方がぜんぜん違うようです。私の母方の方は、それを体験した人たちでしたが、父方の方は、そうではなかった。母の言う事を、父は本当に理解し得なかったという印象があるのですが、父は国の為に戦った人でしたから、そのような心の傷みの深さの違いというのも、言葉や情などで埋まるものではないようでした。

 

人類の歴史の中で、限りなく戦争が繰り返されているのは、いつの時でもそうした耐え難い悲しみも苦痛も知らないその国の強い権力者やその賛同者たちということからしても、この先の未来において、更に戦争が大規模なものになっていって、地球上の人間のすべてに近い人たちが痛手を負わない限り、すなわち、人類の歴史に未だかつて無い、人類が全滅するような全面核戦争にでも行き着かない限り、なくなりはしないような気持ちになってしまいます。本当に、大事の前の小事の段階で、本当の悲惨と苦痛がどのようなものなのか、気づいて欲しいと思います。
誰もが決して望んでいる事ではないのに、どうしてそうなってしまうのか、謎のようですが、人間が一人一人であるうちはそうでなくても、人と人とが数の力で結ばれてゆくと、事態や場合によっては、正しくない事が正しい事のようになっていってしまうようです。

 

 

 


2019.06.08 【つらつらノート】 想いを支える力の来源 (その3)

 

                              ☆ 「つらつら」とは、念入りに、つくづく、という意味の言葉です。

 

 

井上氏の 『孔子』 の最後では、苦労して訪ねていった楚の国の皇帝・昭王が、孔子たちが到着して間もなく死んでしまいます。弟子たちは途方に暮れて、孔子が続ける沈黙に耐え続けます。何しろ四十年もの長い間、策を巡らし夢に見ていた和平の礎となる昭王との謁見が、あろうことか自分たちが訪ねてきたのを待つように、昭王その人の他界により、実に呆気なく雲散霧消してしまったのです。例えようもない衝撃であったのは想像に難くない。しかし、昭王の棺を見送った夜、弟子たちを集めて孔子が言った言葉は、すべてを水に流したように明るい声で 「故国へ帰ろう」 というものでした。 普通、すこしでも私利私欲の欲情があったら、弟子を前にして天に説教でもするところでしょうが、ここでも乱れることなく、天に命をかけている証しのように、天の取った成り行きに対して潔く自分の進路を決めています。
人間というのは、いざとなった時にどうなるか、という処にその人間の本性 ( 真価 ) が表れるもので、「いざという時」になって見ないことには、なかなか解らないものです。そういう時に、その人間の本性が現れて、人が変わってしまうことが多い。孔子を乱れさせなかったのは、孔子の中に貫かれた信念のようなものがあったからというだけでなく、そういう人間というものを散々見てきたということも要素になっているのだと思われます。

 

それぞれの人が「その人」という人物を生きているのと同じように、孔子という人も、川端康成という人も、ただひたすらに、自分の中にある自己を懸命に追って生きていた人であったように思います。想いを支えていたものとは、もしかしたら、自分という存在の本質、或いは人生の意味を深める対象として、このような自分でありたいと強く思うもう一人の自分の後ろ姿にあったのかも知れません。

 

 

天から与えられた自分を生きること、正にそれが天命に違いない。
しかし、自分を生きるといっても、我を通すことではない。
自分の中にある彼岸、永遠の魂に通じるものを見つめて生きること。
これ即ち、天命に然り。

 

天命を知り、その天命に自分の命をかけて生きる者は、
飢えたり死にそうになって窮地に陥ることは元より覚悟している。
たとえ途上で死んでしまっても、天命をかけて生きてきたことを悔いることはない。
何があっても、天に命をかけた自分は変わらない。乱れない。

 

困難なものに立ち向かおうとする者は、常に窮する上に生きている。
楽を追い、困難を避けて生きる小人は、窮すれば忽ち乱れてしまう。
愚痴を言い、腹を立て、処構わず貪り、
誇りを捨て、尊厳を捨て、信頼に捨てられる。

 

己を生きて闘っている者は、常に傷つき、困窮している。
己を生きるとは、満身創痍になる覚悟がいる。
楽に勝つなどは、子供と闘うようなものだ。
自己の力を凌いで闘おうとする者は、楽に勝つような生き方はしない。

 

 

 


2019.04.13 【つらつらノート】 想いを支える力の来源 (その2)


                              ☆ 「つらつら」とは、念入りに、つくづく、という意味の言葉です。

 


さて、前回からの続きです。

 

孔子といえば、『三十にして立つ』、『四十にして惑わず』、『五十にして天命を知る』 という言葉などが有名ですが、あたかも天命を知る事は、自分の人生を 「これだ !! 」 と知る事であり、大変有意義なことのように思われます。しかし考えてみるに、誰にでも天命というものが与えられているのか、そして、果たして本当に天命というものがあるのか否か、 まぁそれは別にしても、「これだ !! 」 と思えるものが見つかったらそれでシアワセになれそうに思えるのだけれど、ホントにそうなのだろうかという事については、どうなんでしょうかねぇ ?
孔子の言った天命という言葉は、如何にもそう思っていたようにも思えるのですが、それは他人よりも自分に対する言葉であって、あくまでも仮の次第に過ぎないという事を能く知っていて使っていたのではなかろうか。 天命と言えども、己が天命と受け取るのであって、天が果たして本当に命を下しているのかということは、わからない。この 「わからない」 ということを、能く解っていたので、天と言う言葉を使っていても、決して神を崇めるような宗教者ではなかったと思われます。そして、天命など見つからなくても、その日その日を概ね懸命に生きていたら、別になくてもいいんじゃないか。天命のようなものがなくても、知らずに天の意思であることもあるのじゃないか、というふうにも、実は思っていたのではなかったか、とも思うのです。しかしそうであっても、孔子を支えていた高貴な強さ、潔さは、正に天のもののようです。彼をそのようにしていたものとは、一体何だったのでしょう  ?

 

小林秀雄氏が、川端康成氏のことを書いている中で、「犠牲者」という言い方をし、尚かつ、一種の「無能者」という言い方をしています。

 

正銘の芸術家にとっては、物が解るというような、
安易な才能は、才能の数には這入らない。
天賦の才が容易であるとは、間違いだ。
作家は、それを見附け出して信じなければならない。
そしてそれはその犠牲になることだ。
彼も亦その犠牲者、従って一種の無能者でもある。
        小林秀雄  「川端康成」 より

 

無能者と、よくも言い切れるか、とも思いますが、己の才覚を懸けてひとつの道を歩み続け、その道の上で死ねる人は、つまり無私の人でなければ本物ではない、と小林氏は言っているのですね。小林秀雄という人も、無私を目指していた人で、川端氏の生き様と死に様にある種畏敬の念を抱いていたように思えます。何か、一般の人は元より、非常に個性的な文士の中にあっても物事を見つめている視点が違うと云いますか、あまり欲目もなく静かな印象を受ける川端氏ですが、それでもその希有な才能を何十年と精力的に開花させ続けて生きることができたのは、我が身に潜んでいる「生」という存在と同程度かそれ以上の何かを摑んでいたからではなかったかと思います。自分の生身の人生を本当に犠牲にできるということは、それと引き換えに何かの力を得ていなければできる筈もなかったように思える訳です。自然の理を見れば、波の波形と同じで、マイナスを大きく取れば、その動きに合わせてバランスを取ろうとする力が働き、それに見合ったプラスの力を持つことに繋がってゆく。ただそれは眼に見えない力なので、その人でさえ本当の処は解り難くて、もう信じることしか先に進む方法はない訳です。犠牲を払ってまで欲しないのであれば、市井の人と同じように生きるしかない。ただひとつの事、それのみに生きてゆくというのは大変なことです。しかし、それのみとは、それしかできないということでもあって、それも、すぐに実用されて何かの役に立つようなことではない。そういうことしかできないというのは、確かに一種の無能者と見られても仕方がないこともあって、しかし当然、それはタダの無能者では有り得ない。そして、その犠牲もタダの犠牲に終わるものではなく、いつの日か、何かしら人知れず、無意識的な領域で人の為になり得る理というものを持っていることです。無私とは、全体に通じるものだからです。
しかし、全体から見たらタダの無能者でなくても、本人にしてみればタダの無能者のように思われ、自らも思うことは否めないことで、そこで本人にしか解らない苦痛・苦悩があって、そうなるともう、「天命などと言うことはおこがましい」 というふうになるのではなかろうか、と思うのです。しかしそのように強く否定することが、逆に心の中に全体的な視野を作っていったのかも知れない。文学という、人間存在・人間意識への深遠で途方もない探求に人並み外れた才能を注いできて、それを天だの命だのという意識からも遠ざけて、それでは彼は一体何を想いの支えにしていたのだったか ?  これもまた、不思議に思えます。 


天賦に恵まれ、才能に生きたように見える川端氏も、文学に生きることを 「これだ !! 」 と思って生きた人であったでしょうが、実のところ、幼少の頃に父、そして母とも相次いで死に別れ、たった一人の姉とも離れて暮らす境遇にあって、幼いうちから身体が弱く、その反面、精神的な働きの感性が鋭い少年であったそうで、大人になってからも身体の異変が絶えず、ひどい不眠の症状などでも相当に苦しみ、書くことにも四苦八苦するようになって、生涯惑いながら生きてきた人のようです。彼を知る人の言葉に、彼の死について、「彼の心の細やかさは誰にも解らなかった。その苦痛に疲れ果てたのではなかったか」、と言った人もいます。最期には僅かな枚数の原稿も書けなくなり、そしてある日、如何にも風に誘われて唐突に旅立ったかのように、炎がフッと消えるように死んでしまった。実に彼の小説の終わり方のような死に方で、私は個人的に、ひじょうに彼らしい死に方であったように感じるのです。しかし果たしてどうだったのかは彼にしか解らない。天命に生きたように見えたとしても、人の死に方というのは、これしかないという形のように思えます。

 

 つづく 

 

 

 


2019.03.23 【つらつらノート】 想いを支える力の来源 (その1)


                               ☆ 「つらつら」とは、念入りに、つくづく、という意味の言葉です。 

 

 

 井上靖氏、晩年の小説 『孔子』 の中で、孔子と弟子四人が或る国の皇帝を訪ねてゆく旅の途中、戦いに敗れた兵士の集団によって荷物一式を全部奪われてしまう一節があります。食べるものも着るものも寝具も奪われ、通りすがりの村落はどこも無人になっていて、食料と呼べる食べ物が何も手に入らない状態に陥ってしまいます。そうやって半ば飢え、朦朧とした足取りで移動し、辛抱に辛抱を重ねて旅を続けて、何日も経った日のこと。空腹と絶望感に歩き疲れて、全員が、もう一歩も動けなくなってしまいます。いくら修行を重ねていても、そこは生身の人間、苦しさにも限度があります。ある時、弟子の中では一番上の兄弟子が、ふらふらと孔子の前に立ちはだかります。孔子は、木に凭れて静かに琴を爪弾いている。兄弟子は孔子に向かって、 「君子も窮することがありますか  ?  」 と、まるで怒っているように、投げつけるように言いました。皆がこうして飢えて死んでゆくのであれば、一体、今まで我々は何をしていたことになるのか、と憤慨している様子です。そして何よりも、孔子ともあろう御方が、飢えておられるということが、哀しくもあり、腹立たしくもあったのでしょう。黙っている孔子を見て、兄弟子は、「君子も、窮することがありますか」とまた言いました。孔子は、琴を傍らにおくと、眼の前に立っている弟子に顔を向けて、

 

「君子、固 ( もと ) より窮す」 力の入った声でそう言い、追いかけるように、「小人、窮すれば、斯に濫る ( ここに乱る ) 」 と厳かに言い放ちます。

 

これを聞いた件の弟子は、暫くは立ったまま茫然自失となっていましたが、深々と孔子の方へ頭を下げると、そのまま大きく体を捻るように、何も持たぬ両手、両腕を大きく水平に広げ、それからゆっくりと体を音律にでものせるようにして動かし始めました。
飢えようが、死に瀕していようが、毅然として、己の品格を微塵も乱れさせない孔子の姿に、美しいものを間近に見た感動を覚え、嬉しくなってしまったのでしょう。そして思わず踊りだしてしまった。固唾を呑んで兄弟子の様子を窺っていた他の弟子たちも、この言葉に感動してしまいます。

 


 この孔子の言葉の奥にある想いとは、一体どのようなものだったのでしょう。

 

「天命を知り、その天に自分の命をかけて生きる者は、飢えたり死にそうになって窮地に陥ることは元より覚悟している。たとえ途上で死んでしまっても、天命をかけて生きてきた人生を悔いることはない。何があっても、天に命をかけた自分は変わらない。乱れない。」

 

果たしてあの言葉を言った時の彼の想いとはこういう感じだったのか、わかりませんが、しかしもっと真髄にある、彼の言葉の根底にある想いとはどのような想いであったのか。その想いは、一体何によって支えられていたのか、というところが不思議に思える訳です。別に孔子でなくても、「よくそこまでできるな」と感嘆するような事をやり遂げた人間の、その想い(或いは、信念)を支えていたものは何だったのか、と思う訳です。
確かに、言葉というものが想いを支えていると言っても過言ではありません。言葉や経験が支えているとも言える。が、しかし、その人の経験や言葉だけが支えているというふうにも思えないのです。
私は、孔子の儒教についてはあまり関心がある方ではないのですが、終生無冠の一学者としてこの人が生きた生き方には興味を覚えます。小説を読んでいて、このような場面に出会うと、一体何がこの人にこのような言葉を使わせたのか、一体何がその想いを培わせ、彼の人生の足跡を辿るに至ったのか、知りたくなります。 ( 晩年に至った井上氏が、孔子を通してこの小説で著したかった想いとは、果たしてどのようなものであったのか、という想いと重なります。 )

 

 

 


2019.02.17 【つらつらノート】 人間 この不思議な存在 ⑤

  

                               ☆ 「つらつら」とは、念入りに、つくづく、という意味の言葉です。

 

 

 自分という意識のない状態、 「無我、無心」という境地について


前々回の『つらつらノート』、「人間、この不思議な存在 ④」の終わりに、
・・・ちなみに、禅の世界などで、自己の追求の果てにあるのは「無我、無心」である事を説く禅士がおります。前文での、他人と自己という対称的な関係とは違い、他人も自分も無い、もともと私などというものは無い、「無私」という世界観です。私など無いという観念で観ると、他人も無いのであって、他人が無ければ、すなわち自分も無いのであって、それってつまり何なのかと考えると、自分もまた他であり、他人もまた自である、とする考え方なのでしょう。
この辺りのことをつらつら考えるというのも面白そうですが、何やら難しそうです。またいつか書ければと思います。

 

・・・ と締め括って書きましたが、今回はここで、この「無私」について、画家の横尾忠則さんが著書の中に載せていた、禅僧の井上義衍老師談話の一部を紹介してみたいと思うのです。
自分と他人との関係を認識する、もうひとつの別のところで、「自分も他人もない」という見識を持っている人物のお話です。

 


『 仏道の教えというものは、何も釈尊の教えじゃないんです。
誰にでも同じように存在しているものを、自分は持っていないと思って迷ってそれを外に求めているのを見て、釈尊は人のものを学ぶんじゃなく、自分のものを自分が本当に学んで知ってゆくという事を示して、それを仏道と名付けられたのです。
確実に自分で根底に達しますとね、今度は疑おうとしても疑うことができなくなるんです。

 

自我というものが落ちてしまうことを一度味わうと、自我のない自分を発見することができます。
自我なんてのはあるという思い込みなのであって、実際にはないんだから。
実際にはもともと損も得もないでしょう。
損をしても得をしても、どれに対しても無条件で対処するようにできてる。
そういうふうに活動するようになっとる。
そう考えると生だの死だのっていう問題もなんでもなくなるでしょう。

 

運命なんてものはありませんよ。仏法は運命論ではなく因果論です。
釈尊は人間の考え方からすっかり離れて、生まれた時点まで遡られ、其処で悟られたことは、因果の実体らしいものは何ひとつないじゃないかということだったんです。
作るものも作られるものもない。それが因果です。
因果というのに種がない。因と思われているものも結局は因果関係によってできたんですからね。
縁も結果も主体らしきものはないんです。
縁にふれてただぶつかってすべてのことが次々に回転する。そのようにできておるんです。

 

自分というものが、如何に何も持ち物もない、如何に何も持ち得ない存在であるかということです。
其処に行き着くことです。
持っていないということは、持つ必要がないということですわ。だから、みんなあるんです。
必要なものはすでに持っているということです。実はみんな持っているということなんです。それが「智」です。
知ろうとすることすら必要ないんです。結局、もともと知っておるんですわ。                  』

 

                                                 井上義衍老師談話

 

 


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