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お知らせ・つらつらノート

2017.12.16 【つらつらノート】 この世界の条理

見えるものより、見えないもの。
聞こえるものより、聞こえないもの。
解っているものより、解らないもの。
この世界で圧倒的に多いのは、後者だ。
この世界の認識を、見えるもの、聞こえるもの、解るもので満足していると、
それは結局、この世界のことが、「見えている 聞こえている 解っている」とは言えない、ということか。

 


2017.11.26 【つらつらノート】 人が、何かを為すということ。

今回は、私の敬愛するオステオパシー医 ロバート・C ・フルフォード が、何かに行き詰った時に読むという ウォルター・ラッセル の言葉を載せてみたいと思います。

 


人間は、何であれ為すのは不可能だ。人間の最大の妄想は、「自分は為すことが出来る」と思い込んでいることだ。人は皆何か出来ると思い込み、またしたいと思う。だから誰もが最初にする質問は、「私は何をすべきか ? 」、となる。
しかし実際は、誰一人として何も物事を為し得ないし、また出来もしない(成し得ない)。これを先ず理解することだ。すべてはただ起こるのだ。人間に生じること、彼によって為されたこと、彼から出てくるもの、これらはすべてただ起こる事なのだ。人は生まれ、生き、死に、家を建て、本を読み、それは実は自分が望んでいるようにではなく、起こるに任せているに過ぎない。
この為すことについての問題には、別の問題が関連している。つまり誰もが、他人は間違った行動をしている、物事を正しくやっていないと思っている。誰もが自分はもっとうまくやれると思っている。皆が皆、自分の見解や理論を持っていて、為すべきことが為されていないと考えている。実際は、すべてはなるようになっているに過ぎない。しかもそれは一通りしかない。すべてのものは他のすべてのものに依存しており、すべては関連していて独立したものは一つも無い。だから、すべてはそれが取り得る唯一の道を進んでいるのだ。すべてはそういうふうにして起こっていることなのだ。

 

そんなことはないだろう、と思う人は多いと思います。しかし、つらつらと考えてみると、彼の言っていることがなんとなく理解できなくもない。
例えば、何故、どんなに総理大臣が変わっても、一向に大多数の国民が求める住み良い社会というものが実現しないのか ?  ある一部の限られた人たちにとっては問題のない良い社会ではあっても、格差や、差別や、貧困や、肉体的乃至精神的暴力が後を絶たないのか ?  何故、大多数の人が理想として描いている富の分配や社会の平等は難しいのでしょう ?   

どんなに有能な人が一国の首相になったとしても、動かせないものがある。一生懸命やっても、為されないことがある。金力や、政治や、制度や、社会の仕組みだけでは、歯が立たない力がある。

 

 「突き詰めると、人は、善悪というものに対して非常に無力であることが明らかになる。人は、ただすべてを受け入れ、それを乗り越えて生きることだけしかできない。」       ウォルター・ラッセル

 

 


2017.10.14 【つらつらノート】 「色即是空」の話

先日、法事があり、久し振りに親戚の人たちと顔を合わせました。
お経が済んで、お坊さんの話があり、その話が法要の後の宴席でも話題になって、チョット面白かったものなので、ここにも書いてみたいと思った次第です。

 

お坊さんは、先ず、「色即是空」 という、般若心経に出てくる有名な言葉の話からはじめました。
色即是空とは、この世にあるいろいろなもののすべては本来 「空」 であるという意味の言葉で、いろいろなものとは、人間も動物もあらゆる物質もこの世の無常という法則のなかではすべて実体がない 「空」 であり、どれもがすべて仮の形、仮の姿を現しているものだという意味です、と話されました。ですから、自分と思っているような自分というものも、本当は無いのであって、自分というのはひとつの仮の姿をしているにすぎないものだ、と言うのです。
それから、ものの例えというふうに、こんなことを話し始めました。
自分というものが存在しないとしたら、社会というものも、国家というものも存在しないだろう、と。 あらゆるものは存在しないことになる、と言います。何しろ、色即是空なのですから。社会や国家だけでなく、家族も、愛も、恋も然り。結婚なんていうのも然りなのです。
すべては有るように思っているだけで、本当は実在しない仮のものだ。 有るように思っていることが、実際に有るように、我々の思いで感じを作っているだけで、そういう対象が実際に有る訳ではない、と。
ここでお坊さんは、今度は 「空即是色」 という言葉を持ち出して、「色即是空」 を反対の角度から見てみるとどうなるか、ということを話し始めました。
空がすべて、と表しているので、当然、この自分も、空という全体の一部分であって、空が自分という感じを作っているだけ、ということであり、私心もまた空なので、この自分という存在は空というものの一時的な仮の姿だと言うのでした。空とは、このすべてを統括した全体を動かしているものであり、その全体のために、仮にこの地球という星が必要であり、そこに生まれて生きる者のために集団という社会が必要であり、仮に国家が必要であり、仮に家族が必要であり、そこに仮の自分という意識も必要であり、それは私たちに、仮に父として、仮に母として、仮に子供として、個々の役割を持って生きている自分という存在があるのですが、こうして各々みなさんがそんなふうに知らずに納得して此処に居られるだけなのです、と言われるのです。
したがって、愛も恋も、仮にそう思っているだけで、結婚も仮に結婚と呼んで、男と女をひとつにして子供を生み、家族、社会、国家という全体性の為に認識させられているということになる、と。 そうさせているのは、或いはそのようにしているのは、我々の意識であるように思っているけれども、実は我々の意識がさせているのではなく、空という、この宇宙を包んでいる渾沌とした力の働き、そうした全体的普遍的無意識の働きが、我々の集団的無意識に働きかけて、させているということになるのですよ、と仰いました。これはちょっとユングの心理学と共通した考え方で面白いと思いましたが、そこはお寺のお坊さん、すかさず、つまり全体的普遍的無意識である空とは、仏なのです。と言葉をつなぎました。
しかしそう言いながら、なんだか言い切れないような、ホンの少し不甲斐なさそうな顔をしていましたが、「仏なんていうのも空なんです」、と、思い切って言ってしまいたいような感じが漂っているようにも見えました。何しろ、空即是色、色相是空なのですから。
勉学が好きそうな、二代目のお坊さんでしたが、何かと現実と理想に板挟まって苦労しているような様子が、なんとなく窺えたものでした。

 

まぁ最後の方はお坊さんらしく仏という言葉も出てきてそれなりに話を終わらせましたが、「色即是空、空即是色」 という教えをこのように説明されたお坊さんははじめてでした。
この世の真理に想いを深めれば尤もなお話なのかと思うのですが、自分も仮なら相手も仮だとか、愛やら恋やらそんなものは本当はないとか、結婚も社会のための仮のもの、マボロシのようなものだとか、平気で仰っていたのですが、実はこの法事の集まりの中には、最近結婚したばかりのカップルも出席していて、先だっての結婚式の時には同じ顔ぶれの親戚の人たちに「オメデトウ」と祝福されていたのですが、この後の宴席では、みんなにさんざん冷やかされる事になってしまいました。お酒がまわった伯父さん伯母さんたちの中には、自分たちの結婚を省みるように、「恋愛や結婚なんていうのはホントーに夢かマボロシのようなものだ。現実はもっとキビシイぞぉー」とか、「いつの間にかさめてしまうものなのよねぇ」 などと、説教とも投げやりともつかない口調で話していたりする始末でありました。
いつもは何かと退屈な法事が、今回は、思いがけずもちょっと面白いものでした。

 

 


2017.09.09 【つらつらノート】 いつの間にか失っていた大切なもの

もう何年も前のことですが、私の父が認知症になり、次第に妄想に駆られるようになってから、自分の身の回りの物…例えば、眼鏡や財布などがなくなる度毎に、「昨夜、おまえがここに来て、オレの財布を取って行ったことはわかっているんだ…。」などと、ありもしない事を真剣になって、息子である私のところに電話をして来るようになりました。まだ一人で家に住んでいた頃のことです。そして、その晩にでも行って、いっしょに捜してみると、引き出しの中などから出てくる。そうすると、もう心底から「良かったぁ」という顔になって、「ありがとう、ありがとう」などと言ってくるのです。もう、自分が電話でどんなことを言ったかなど、ぜんぜん憶えていない。それでも、また何かなくなれば、睨みつけるような眼で言ってくる。そういう時は、本当に悲しいばかりでしたが、でも、本当に父が失くして取り戻そうとしているもの、取り戻したいと願っているものとは、一体何なのだろうと思うようになりました。父に、本当になくなっているもの。心底から取り戻したいもの。それは、お金や、眼鏡や、腕時計でもなく、預金通帳でもない、それらを抽象しているものなのかも知れない。お金のように、束縛されやすいものではあるけれど、肌身につけるように持っていることで、かけがえのない安心感を与えてくれるもの。恐らく、そういうものを父は失い続けていて、周りの者に訴えたかったのか。それはやはり、信頼ということだと思えたのでした。

 

物忘れがひどくなった父を説得して、病院へ行き、アルツハイマー型認知症と診断されてから、介護支援を受けるようになり、いろいろな方々からの忠告やアドバイスを受けるようになって日々を過ごすうちに、いつの間にか、父の言葉や感じていることなどを、私はそれとなく聞き流したり無視してしまうようになっていたのかも知れなかったのです。父の言っていることや、やっていることが、ますますトンチンカンになっているので、心の内では、父の言うことを信じてやれなくなっていたのは事実です。適当に相槌を打ったり、生返事をして聞き流してしまっていることもありました。父のためにいろいろとやっていることが、いつの間にか、父を抜きにして回ってしまっているのでした。自分は信頼されてない、と父は感じたものの、表面的には、自分のためにいろいろ手を尽くしてくれている娘や息子に対して、あまり真正面から胸の内にある憤りを吐き出せないでいたのでしょう。娘や息子に、自分の言うことが信じて貰えない苛立ちや、切なさや、孤立感、疎外感などを感じていたのだと思います。そういう胸の内に積もっていたものが、財布とか腕時計とか、何かが紛失した時の拍子に、自分でコントロールできない大きさで噴出していたのかも知れない。その時点で、すぐに電話して吐き出してしまわなくてはいられなかったのでしょう。そして父としては、娘よりも、息子の方が対しやすかったのでしょうね。いくら認知症だからといって、自分の息子に対してずいぶんと酷い事を言う父親だ、と怒りと共に思っていたものですが、よくよく考えてみれば、娘や息子の方だって、自分たちには見えないところで、親に対してずいぶんと可哀想な、酷い事をしてきていたのでした。

 

 

人にとって、一番大切なものは何か ?

それが人、人と人との関係であるならば、信頼は、この世界で一番大切なもの。
信頼を手放せば、すなわち、大切なものを失ってゆく。
信じることができなくなれば、どんどん分裂され、孤独になり、更に自分自身も失って、悲しみのどん底に堕ちてゆく。

一度壊れた信頼は、努力して修復できたと思っても、どこかに残ったヒビは消えることがない。

そうなる前に、何よりも、信じることを手放してはならない。
何よりも、信じることを優先させなければならない。
何か間違いがあったとしたら、先ず、信頼を手放していないかを確かめることだ。
しかし、人は間違いを犯しやすく、迷いやすく、従って、信頼を手放しがちな存在だ。

信頼を手放してしまったからと言っても、決して誰も責めてはならない。
人はそれを許しあう寛容を持たなければ、いずれ自分も悲しみのどん底に堕ちてゆくだろう。
すなわち、人から信頼を手放されても、自分が人を信頼することを手放してはならない。
多くの悲しみに傷つき、信頼を手放し続けたとしても、信じたいと希求する想いは人から去るものではない。
大切なものを見失って、人が信頼を手放そうとするからだ。
さぁ、もう一度、信頼を手元に引き寄せ、取り戻そう。その人の良き面を想い出し、見つめ続けよう。

 

この文章は、その頃、父が私に何かを言ってくる折毎に、自分に言い聞かせるようにしていた言葉です。

 


2017.08.19 【つらつらノート】 日本の「終戦(敗戦)記念日」 戦争について想うこと

日本において八月というのは、広島、長崎の原爆記念日、そして十五日の 『 終戦記念日 』 と、戦争の悲惨な記憶を思い起こす月であるので、毎年、戦争と平和について特集するテレビ番組などが見受けられます。

 

私は、両親共に戦争体験者の家に育ってきたので、小さい頃からよく戦争当時の話を聞かされたものでした。
父は昭和十八年、二十歳の年に出兵して、満州北部にある飛行場で整備兵として従軍し、敗戦の後、どうにかこうにか、それこそ怖い思いを山ほどし、一年という月日をかけ、ボロボロになって日本に帰ってきた人でした。 母は静岡に住んでいて、空襲で大火傷を負ったり、兄の戦死、妹の栄養失調による衰弱死という大きな喪失の悲しみに遭いながら、それでも長女で下に五人もの妹弟と、空襲で大火傷を負った病弱な母親の食べるものを求めて一人で満員列車で買出しに行く。母の父親は、母が十三の歳に病気で亡くなっていましたし、上の二人の兄たちは戦争に取られていましたから、それこそ、まだ十七歳かそこらの娘の母が、一人で大黒柱となって昼夜なく働かないと、残された七人の家族が生きてゆけない状況にあったのでした。
そういう両親の、戦争当時の二人の話のあれこれを何度も聞いていると、子供心に、普段の自分の生活とまったく違う世界の話でしかない訳です。普段、食べるものが当たり前にあって、清潔な家があり、寝る布団があって、家族が揃っていて、明日も今日のように学校へ行って友達と遊んで過ごせる日々しか知らない者にとって、まるで遠い世界で起こった出来事のようで、子供心にも非常に貴重な話を聞いているという感じがあって、だからこそ飽きることなく黙って聞いていたのだと思うのですが、恐ろしいけれどもまったく興味深い、不思議な気持ちになる話だったのです。ホントに、そういう地獄のような恐ろしい状況の中を、よく生きてこられたな、と返す返す感心して、眼の前の二人を眺めていたことを思い出します。 母の話は、実際の日常生活に即しているものなので、実感として伝わってくる怖さがありました。例えば、物資が滞ったり不足してきて、食べるものがなくなり、栄養が落ちてくると、人間の体にどういうことが起こるのか。物資がまだ流通している間はいいのですが、アメリカ軍の空襲によって工場に爆弾が落とされたり、鉄道や道路などの流通の手段が絶たれたりすると、食料の配給が止まったり、水道が止まったり、電気が止まったりするだけでなく、身の回りの物資、石鹸や洗剤などが手に入らなくなるわけです。そういう状態がしばらく続くと、どうしても不衛生な日常生活と、食料の不足と偏りがちな栄養の失調状態になるものですから、お腹の回虫が湧いてきたりするのです。そうするとどうなるかというと、体中がむかむかして気分が悪くなり、放っておけば確実に病気になるものだから、トイレで自分でその回虫を出さなくてはならない。などという、いかにも「そんなのゼッタイにイヤだ」的な、耳を塞ぎたくなるような状況を聞いていると、空想するうちに実に恐ろしい気持ちになったものでした。また、食べるものがなくなって、大人が飢えると、時として人が違ってしまったように狂ってしまうことがある、という話など、なんとも不気味に思ったものでした。以前、作家の野坂昭如さんだったと思いますが、「二度と、飢えた大人の顔は見たくない」 と仰っているのを聞いた記憶があります。「飢えた子供の顔は二度と見たくない」、という言葉よりも、恐ろしく現実的な言葉だと思いました。

 

戦争の悲惨さは、戦場の現場だけに起こるものではなく、その国の、日々の暮らしの中に繰り広げられる現実も戦場となり、人の心をも戦場にしてしまうのです。空襲があって、沢山の人が死ぬと、犬が人間の内臓を食べていたりする。死んでいる人が、近所の街角の其処此処にあっても、慣れてくるともう驚かなくなるし、自分たちの生活、自分たちが生きてゆくことで精一杯で、路傍の人間の死を悲しむことすらしなくなってしまう。たまに腑と我に返って、その悲惨を悲惨とも思わない自分に愕然とする事があっても、また忘れてしまう。人の心が戦場と化すと、鬼にも蛇にもなるのが、人間というものの実体であるということ。そうやって生きてゆくしか生き延びることはできなかった、という現実。

 

振り返って、何故、あのような残酷で悲惨な戦争当時の話を子供に繰り返し聞かせていたのか、を思うと、やはり、自分の子供にはゼッタイに同じ経験をさせたくないという思いからだったように感じます。父や母からすれば、半ば、国のやる事、政治家たちの言う事など安易に信用できない心根ができていて、この先いつまた突然戦争が起こるかわからない。戦争が起こりそうになった時に、戦争は絶対にしてはいけないもの、起こさせてはいけないもの、という意識を子供に植え付けておきたかったのだと思います。

 

戦争の悲惨さというのは、同じ戦争を体験した人でも、肉親の悲惨な死や、耐え難い悲しみや、屈辱や、自分の身に起きた苦痛や苦闘を幾つも経験した人と、そのような悲惨な経験をあまりせずに済んで生きてこられた人とでは、戦争に対する心の深いところでの受け止め方がぜんぜん違うようです。そのような心の傷みの深さの違いというのは、言葉や情などで埋まるものではないようです。
人類の歴史の中で、限りなく戦争が繰り返されているのは、戦争を起こすのはいつもその国の権力者と賛同者たちということからしても、そのような違いから生じてくることのような気がしてなりません。

 

 


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