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2018/10/13
【つらつらノート】 人間 この不思議な存在 ③

 

                                ☆ 「つらつら」とは、念入りに、つくづく、という意味の言葉です。
 

 果たして、人間の意識は永遠に不滅なものなのか  ? 

 

しかし本当に、人間の意識は、果たして不滅で永遠のものなのでしょうか ?  私たちの日常的な意識からすれば、私たちの意識は死ねば消失してしまう、というのが一般的です。不滅で永遠だなんて、とても想像できませんし、容易には納得できません。
ハムレットではないけれど、肉体が死んでも、それで終わりでないとしたら、と考え始めると、コワイですよね。考えて解ることではないのですが、「本当に、どうなっちゃうのか  ?  」、なんて思ってしまいます。

私の場合、死がどのようなものであって欲しいかというと、どちらかと言えば、この意識が永遠に続くよりも、永遠の眠りに着くように、死んだら何もない真っ暗闇の方が断然いいように思います。いろいろな事があった一日を終えてヘトヘトになって布団に入って、もう何もしなくていい安堵感に包まれて深い眠りに着くように、決して誰にも起こされることもなく、意識を呼び覚ますような夢を見ることもなく、永遠の静寂の闇の中でゆっくりと静かに眠り続けていられるようであったら、どんなに幸福かというふうに思います。だけどそんなに都合良くこの人生が終われるものだろうか、とも思ってしまいます。

しかし、意識というものが情報というエネルギーの一種であるとすれば、エネルギーは物理学で証明されているように保存されるかも知れない訳ですから、形骸は消失しても、そのエネルギーの本質はどこかに保存されて消滅することはない、のだとしたら  ?    仮に、「エネルギー保存の法則」の通りになったら、例え死んでも、『何か』が残るかも知れないんです。それは私たちが意識として感じているものとは、もしかしたら随分と違うものかも知れない。

 

意識というものを格段に解体した先にある、無意識の深遠な深さに通じるところのものであるような気がしますが、それを昔の人は、『魂』という言葉で伝えてきたように思えます。たまに、タマシイなんて迷信のような感じで否定する人がおりますけれども、生きている人間の複雑さ、人生というものの不可解さなどを鑑みて考えてみると、人間の想いというものも森羅万象の力の一形態であるとすれば、そのような迷信に似た訳の解らない特異的な存在も、ひょっとしてあるかも知れないと思えるのです。

 

そんなところまで考えてみると、人間って本当に不思議なイキモノだなぁと思います。
そのように思っている自分という存在が、そもそも不思議な存在であるわけです。
自分とは一体何か、という事を考え出すと、考えれば考える程に解らなくなってしまいます。

「自分とは一体何か」、とと考える時に意識する、その意識するという現象を考えてみても、何だかワカラナイ。養老孟司さんの著書の中に、東大の医学部の学生が授業中に、眠り薬が効く理由を教授に質問したところ、苦々しい顔で睨まれた、というエピソードがあって、要するに、医学的に何故眠り薬が効くのかを説明できないくらいに人間の精神の何たるかを説明できないのが、医学界の現状であるとの事なのです。
果たして、この意識、精神とは自分のこの身体の中の一体どこにあるのか ? という問いに対しても、脳の周辺に由来して存在するようにも思えますが、精神とは身体の一体どこにあるのか、意識は脳のどこで働いているのか、という問題は、まだ謎のようです。何しろ、精神とは、非物質で、心とは何  ?  、愛とは  ? 、などという人間の永遠の問いと同じようなのです。

 

この身体に秘めている生命のエネルギーとは、何なのでしょう  ? 
人間の身体の中で、肉体を成長させ、そして衰退へ導き、終いには抜け出て行くエネルギー。
何処からか来て、共に生きて、何処かへ行ってしまう。
細胞群を成長させる生のエネルギーと、細胞を死滅させる死のエネルギーは、まったく同じエネルギーのようです。

 

 

 


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